産科医療における無過失補償制度について(1/5)

はじめに

本稿の目的は、産科医療における無過失補償制度を検討することである。
日本の周産期医療は、世界的にみても低い新生児死亡率や周産期死亡率を達成している。
ところが、産科医不足、産科医療提供体制の問題点がなどが指摘されて久しく、出産医療を担う医療機関も減少傾向にある。産婦人科医師及び機関が減少している理由としては、過酷な勤務、医療訴訟の増加などがあるといわれる。
特に、新生児脳性麻痺に関しては、統計上、訴訟率が非常に高いという特徴がある。新生児脳性麻痺は、平成16年には12件、平成17は18件、併せて30件の報告があった。そのうち、22件(73.3%)で紛争が起こり、8例(26.7%)は不明である。分娩を原因とする脳性麻痺は10〜20%といわれていることを考えても、圧倒的に訴訟リスクが高い。
このような現況を打開すべく、2009年1月から産科医療補償制度が導入された。迅速な救済を目指す当該制度は、医師の過失の有無にかかわらず補償を行うことを特徴としている。しかし、補償制度には固有の制度的問題が指摘されており、また、補償対象範囲の限定性から平等・公平について新たな問題が生じるなど、課題も多い。
そこで、不法行為法・保険法など基礎となる法制度の前提を確認したうえで、諸外国の補償制度を概観し、今般導入された産科医療制度について論点を整理し検討する。

法制度

1 不法行為
(1)概論
ア 不法行為責任制度
不法行為とは、私的生活関係において法秩序により保障された私人の権利を侵害する行為であって、法秩序の命令・禁止に違反するものとして被害者の救済が命じられるための基点となるものをいう。
すなわち、(1)法秩序によって保障された他人の権利を侵害する行為であること、(2)その行為が法秩序の命令・禁止に違反する態様のものとして評価されること、(3)被害者救済という目的に関連付けられるものであることが、不法行為制度の根幹をなす要素であるといえる。

イ 過失責任原則
どのような場合に違法評価が下されるかは、いくつかの異なった理由付けがありうるが、近代ヨーロッパ大陸法は、権利が侵害されたという状態だけでただちに違法評価を下すのではなく、行為そのものについての法的評価を経てはじめて違法評価を下すという原則を採用している。過失責任主義はこの文脈で語られている。
過失責任原則(過失責任主義)とは、行為者は、自己に(故意を含む広義の)過失がある場合にのみ、加害行為について責任を負うという原則である。
わが国の不法行為責任制度は、過失責任主義を採用しており(民法709条)、行為者の行動の自由を保障する機能を担っている。

ウ 過失責任原則の動揺
しかし、上記のような把握は、過失責任主義の射程に関する議論の中で変容が見られるようになった。過失責任原則が企業の経済活動の自由と企業の利益に軍配をあげている反面、企業活動の結果として被害を受けた者が有する権利に対する保護をあまりにも無視している点が批判されたのである。

エ 過失責任原則からの展開
このような批判に対応する第一の展開としては、過失責任原則の枠内において、過失における作為義務の高度化や新たな領域における行為規範の創造によって、責任成立場面を増大させるアプローチがある。過失についての証明責任を加害者へ転換し、または、立証軽減を図るという試みもまた同様である。このような動きは、公害・薬害・医療過誤事件において顕著であるとされる。
第二の展開としては、過失責任原則の妥当範囲そのものを制限しようとするアプローチがある。権利を侵害された被害者の不法行為法による広範な救済を正当化すべく、企業活動と結びついている事故のリスクを企業の負担とすべきであるとして、無過失責任の妥当範囲の拡張が図られている。このような第二のアプローチは、特別立法において具現化されており、鉱業法、原子力損害の賠償に関する法律、大気汚染防止法水質汚濁防止法製造物責任法等において見受けられる。
第三に、そもそも交通事故・製品関連事故・医療事故等については、不法行為法ひいては損害賠償法内部の問題として処理するのが適切であるかという点から問題視する立場がある。この方向は、伝統的には、不法行為法と保険法との交錯を論じる立場に内在して展開されてきた。後述する責任保険に代表される保険法による処理を踏まえて不法行為責任理論を構築しようというものである。さらに、詳細については後述するが、事故補償法という視点からの一元的処理に委ねるべきであるとの提唱もなされている。

(2)裁判例
医療分野の裁判例においては、インフルエンザ予防接種禍の事例において、損失補償(憲法29条3項)を適用し、過失の有無を問わずに救済を認める判断が示された。
さらに、過失の推定により、医師の責任を肯定するという構成が採用された。これらの判断は、過失責任原則の枠組内に留まりつつも、上述したような問題点の解消を志向していると評価できる。

(3)被害者救済における不法行為制度の問題点
しかし、上述した第三のアプローチの立場は、以下のような点が、被害者救済の観点から問題であると指摘する。
第一に、不法行為制度においては、加害者の過失が要求されているところ、それは被害者救済の取扱いにおいて妥当でない場合がある。また、因果関係の立証困難性が障害となりうるし、裁判で決着をつけようとすれば時間と費用がかかる上に、仮に請求が認容されたとしても、賠償義務者の無資力というリスクが残る。
第二に、多様なシステムの複合体によって行われる被害者救済は、実効性の欠缺という問題がある。特別の制度化がされていない分野において救済が期待できないだけでなく、制度化されている場合でも救済として実効性を欠くことがある。
第三に、不法行為責任の追及によって救済範囲を拡大しようとすると、潜在的責任主体の回避行動など社会的な負の対応が生じる。このような萎縮ないし防衛的態度の惹起をおそれて裁判官が賠償責任を認めないようになれば、被害者救済の理念が損なわれる。
第四に、複数のシステムが併存することから、制度間での保障額に差が生じ、また、調整にコストがかかる。
第五に、損害賠償制度の主流である一時金による賠償は、障害が一生続くような小児麻痺の事例などについて、被害者のニーズに沿わない点で問題があるという。

(4)総合救済システム構想
上述のような問題点が突き詰められた結果、ひとつの提案がされた。それが、総合救済システム構想である。
総合救済システムとは、人身被害についての不法行為訴権を廃止し、個別の不法行為訴訟と各種責任保険制度、各種自衛的保険制度を、拡充・統合した社会保障的な被害者救済制度のことをいう。初期の総合救済システム構想は、以下のような特徴を有していた。
(a)危険行為課徴金(責任保険料に相当)、基金求償(損害賠償の支払いに対応)、自衛的保険料(社会保険料に対応)を原資とする救済基金から、人身被害を受けた被害者に対して、その原因を問わずに被害の補償を行う。(b)被害者に支払を行った基金は、危険行為課徴金を支払っていない者が危険行為により人身被害を惹起した場合及び故意による人身被害の惹起の場合には、加害者に対して求償を行うことができる。(c)不法行為を理由とする損害賠償請求訴訟は、故意の不法行為の場合を除き、原則として廃止する。そのため、被害者は加害者を被告として直接請求をすることはできない。また、基金による補償を上回る損害額についても、不法行為訴訟を提起できない。基金による補償を求める者は、自衛的私保険に加入することになる。

(5)不法行為制度の再評価
上記のとおり、損失補填や損害の公平な分配という観点からすれば、不法行為制度は不十分なものとして映ずる。しかし、不法行為制度の目的はそれらに限られないという主張を起点として、不法行為制度を再評価する動向も見られる。
このような再評価は種々の観点からなされているが、基調とされているのは、不法行為制度における矯正的正義の実現という側面である。アリストテレスが提唱した矯正的正義という概念は、各人が持っているべきものを奪われたとき、あるいは、各人が持つべきでないものを持っているときに、それを返還したり放棄したりすべきであるという算術的な調整の価値判断である。矯正的正義は、財の配分などを問題にする配分的正義とは区別されている。

(6)小括
上記のように、不法行為法における過失責任原則は動揺をみせ、被害者救済の観点から修正または再構成をすべきだとする主張が提唱された。医療過誤にかかる裁判例においては、過失責任原則の枠内において、過失における作為義務の高度化や患者側の立証責任の転換ないし軽減が図られている。
他方、立法論としては、事故法に分類される権利侵害について、損害賠償法内部の問題として処理するのではなく、保険法の処理など他に併存する被害者救済の諸制度を踏まえて不法行為責任ないし社会保険制度を再構成すべきとの見解もある。しかし、このような見解に対しては、矯正的正義の視点から批判が存在する。
そこで、以下では医療事故への対応という視点から社会保障法・保険法について概観し、分配的正義及び強制的正義からみて、現状をどのように評価し得るか検討する。