産科医療における無過失補償制度について(2/5)

2 社会保障法・保険法
(1)概論
ア 保険の定義
保険を定義した法規定は存在しないが、一般に保険とは、同様の危険に晒された多数の経済主体が金銭を拠出して共同の資金備蓄を形成し、各経済主体が現に経済的不利益を被ったときにそこから支払いを受けるという形で不測の事態に備える制度をいう。

イ 公保険と私保険
保険は公保険と私保険に大別できる。公保険とは、国その他の公共団体が公的な政策目標の実現手段として行う保険をいい、私保険とは、純然たる経済的見地から行われる保険をいう。
公保険は、社会政策目的を実現するための社会保険を主としており、具体例としては、健康保険(健康保険法)、年金保険(厚生年金保険法等)、雇用保険雇用保険法)などがある。公保険は、加入者から保険料を徴収して需要が発生すれば保険料を支払うという保険の仕組みを利用している。しかし、保険料がリスクや保険料ではなく所得額に比例している場合には、給付反対給付均等原則が成立しない。また、保険加入が強制されていることも多いから、私保険とは異なる性質を有するといえる。
他方、私保険は、国家財政による補助は予定されておらず、加入強制もなく、保険法・民法などの私法によって規律されている。とはいえ、自賠法に基づく自賠責保険は、保険会社が行う私保険ではあるものの、自動車法保有者は加入が義務付けられており(自賠法5条・24条)、保険会社による利益追求も許されていない(同25条-27条の2)。そのため、私保険のなかにも公保険としての色彩を帯びるものも存在する。

ウ 責任保険
責任保険とは、被保険者が損害賠償責任を負うことによって生じることのある損害を補填することを目的とする保険契約とされる(保険法17条2項)。
責任保険は、第一義的には、賠償責任を負う加害者を救済するものであるが、同時に、被害者保護機能をも有する。すなわち、加害者の資力を補完することにより、被害者が賠償を受けられることが確実になるのである。
この被害者保護機能は、不法行為制度と共通する。不法行為法制度との競合というと、公保険にともなう社会保障法制度をまず想起するかもしれないが、私保険である責任保険においても、被害者保護機能を有しているといえるのである。
さらに、責任保険は、加害者の資力を担保し、資力の有無・程度による救済の不平等を是正する機能を有すると評価することができる。かかる機能を狙って、自賠責法などでは、加入が義務化しているものと考えられる。
以下では、医療事故に特化した責任保険の実態と運用について述べる。

(2)医師賠償責任保険
医師賠償保険は、医療事故に際して医師に過失があり、賠償責任が生じたとき、これを補償するための保険商品をいう。すなわち、医師賠償保険は、責任保険の一種である。
医療分野に限らず、専門職の賠償責任保険の運用にあたって困難な問題は、過失の有無の判定であるとされる。しかし、医師賠償責任保険の運用が開始された当時から、過失の有無を判定する医事紛争処理機関には「ともすれば保険査定代行機関のような性格をもつ傾向」がみられるようになり、被害者救済の観点から「医学の筋を曲げる」傾向も強かったという。

(3)日本医師会医師賠償責任保険
ア 経緯
そこで、昭和47年に日本医師会法制委員会は、「『医療事故の法的処理とその基礎理論』に関する報告書」のなかで、過失の存否という法律学上の判断に、厳密な医学的判断を十分に反映できるような特別の審査機構を備えた高額の医療賠償責任保険が必要であるとする提言をまとめた。これを受けて発足されたのが、日本医師会医師賠償責任保険(以下、「日医医賠責」という。)である。

イ 運用
日医医賠責の運用は、以下のようになっている。まず、日本医師会は損害保険会社と提携し、法人として保険契約者となる。そして、日本医師会のA会員(開業医等)は、自動的に被保険者となる。なお、保険料は原則として日本医師会の会費に包含されている。
 また、日医医賠責は、当初その補償額を最大1億円(免責100万円)としていたが、平成13年には任意加入の特約保険を創設し、法人や雇用者が被告となった場合の賠償責任まで範囲を拡大したほか、1事故で最大2億円まで、1施設あたり年間6億円まで補償するようになった。

ウ 紛争処理
被保険者である医師が患者側から損害賠償請求を受けると、各都道府県医師会は、日医に事件を付託する。そこで、まずは、事実関係の調査が行われ、保険適用が妥当かどうかの審査が行われる。しかし、事実関係が確定できない事案などは確定的判断ができないため、訴訟を促し、訴訟による証拠調べの結果を経て、再審査を行うことになっている。
他方、調査の結果、保険適用すべきとの判断がされると、賠償責任審査会において責任の有無及び賠償額の判定を行う。そして、そこで決定された方針に従って患者側との間で解決を図る。賠償責任審査会は、「中立で医学的、法律学的見地からその審査を行うもの」とされており(審査委員会規約第1条)、医学関係者6名及び法学関係者4名により構成されている。
ただし、任意加入の賠償責任保険においては、紛争処理機関はなく、都道府県医師会の医事紛争処理委員会が保険者会社の嘱託により判断を下しているといわれる。そのため、上述したような、被害者救済の観点から医学の筋を曲げるような傾向も、なお存続している可能性がある。

エ 問題点
賠償責任審査会で結論が出るまで、紛争発生後半年から1年程度かかる。そのため、迅速な解決が図られているとは言い難い。この背景には、強制力のない調査によって結論を導くのは困難であるとの構造的問題が存在する。
また、医師・看護師等が過失を認めていても、個別の示談交渉を行うと保険適用がないことや、最終決定が出るまで患者(またはその家族)への詳細な説明ができないという欠点もある。
そして、仮に、被害者救済の観点から医学の筋を曲げるような傾向が残存しているのであれば、医療過誤の原因究明という機能は期待できないということになる。
さらに、日本医師会は任意加入団体であるため、すべての医師が日医医賠責の適用を受けるわけではない点に注意を要する。

(4)小括
医師会が自治組織として紛争解決制度を構築したことは、医学的判断を反映できる第三者機関を設立したことや裁判外の解決が図られてきたという点で意義を有する。
しかし、日医医賠責加入率や運用実態を考えれば、平等で公平な被害者救済が十分に果たされているとはいえず、また、早期解決が図れているとは言い難い。さらに、調査権限が不十分なため、事実関係の把握が困難であるという欠点が存在する。加えて、現行制度下においては医師による自発的な説明のインセンティブが低下するおそれもある。
そのため、民事責任と切り離して事故の原因究明を行うインセンティブを与え、また、早期・公平・一律に救済が図れる補償制度の構築を検討する余地がある。
そこで、以下では補償制度構築の参考とするために、補償制度の類型を整理した上で、各国の制度について概観する。