スポーツ法及びエンタテイメント法における諸問題(2/2)

第2 諸外国の状況・国際的な動向

1 国際的な動向

国際的な動向として、本来であればWIPOやTRIPs協定等の関係を考察しなければならないが、本報告では主たるテーマたる権利制限又は報酬請求権に関連する部分のみ取り扱うものとする。
権利制限について考察する上で重要となるのが、3ステップテストである。TRIPS協定の 13条は、ベルヌ条約9条(2)を取り込んでおり、著作権の権利制限の上限を定めた一般規定として機能している。特徴としては、一般的な理解では、累積的である3つの基準をすべて満たさなければならないことが挙げられる。
第1ステップでは権利の制限が “Certain Special Cases” であることが求められる。この「特別な場合」の意義について、(a)限定された目的である必要があるという考え、及び(b)政策目的が特定されていれば良いという考えがあるが、WTOのDSB パネルは、(b)の立場を採らないことを明らかにしている。
第2ステップでは、「著作物の通常の利用を妨げない」ことが求められている。ここで、各国に「通常」の中に政策的考慮を読み込む余地が与えられているとみることができる。
第3ステップは、「著作者の利益を不当に害しない」という要請が働く。そしてここでも、「利益」「不当」という文言の解釈次第で、各国が政策的考慮を入れる余地がある。
以上みてきたとおり、特別なものでありさえすれば、政策的見地を入れる余地がある。よって、特定の著作物(客体)について権利制限を設けることも許容されうる。また、特定の著作物について強制許諾制度を設けること、すなわち報酬請求権化を行うことも許容されうると考えられる。

2 諸外国の状況

アメリカ合衆国著作権法107条に定められているフェア・ユース規定は、権利制限の一般条項規定である。また、ドイツ著作権法24条も「自由利用」を認めており、権利制限の一般条項と同様の機能を果たしている。
報酬請求権については、法案レベルではあるが、フランスの「グローバル・ライセンス」プロジェクトが2005年のDADVSI法策定時に議論された。グロ―バル・ライセンスはP2Pにおける非営利目的のファイル共有を適法にする代わりに、ブロードバンド・インターネット登録料金を取り、それをアーティストのための助成金にするという内容であったが、結局廃案になっている。

第3 日本の現状の問題点、日本が抱える課題

上述のように、報酬請求権は立法論である。そのため、権利制限にかかる現状についてのみ言及する。
権利制限規定については、現行法の解釈論として、(1)権利制限規定の拡大解釈・類推解釈するアプローチ、(2)本質的特徴の直接感得性がないとして権利侵害を否定するアプローチ、(3)著作権者の黙示的許諾があるとして侵害を否定するアプローチ、(4)権利濫用法理を用いるアプローチなどが採用されていると考えられている。
なお、権利制限の一般規定導入にかかる議論については、平成21年文化審議会著作権分科会法制問題小委員会権利制限の一般規定ワーキングチームによる報告書が提出されており、以下の利用類型に応じて立法の是非を論ずべきとの提案がなされている。類型の分類としては、(1) いわゆる「形式的権利侵害行為」(利用の質または量が軽微であり実質的違法性がないと評価される行為)、(2) いわゆる「形式的権利侵害行為」と評価するか否かはともかく、その態様等に照らし権利者に特段の不利益を及ぼさないと考えられる利用、(3)既存の個別規定の解釈による解決可能性がある利用、(4)特定の利用目的を持つ利用が挙げられている。(1)及び(2)については権利制限規定として導入することが考えられるとの方向性が示されたが、(3)(4)については慎重論をとっている。

第4 日本のスポーツ、エンタテイメント法が進むべき方向性

前述したとおり、現行著作権法はコンテンツ流通という点で限界があると考える。著作権法は、情報通信技術の発達著しい昨今において、逐次的な改正では対応できなくなってきているからである。
そして、現状においては相反するように思われる2つの要望を同時に叶える制度設計をすることが、日本のエンタテイメント法が進むべき方向性であると考える。
その2つの要望とは、第一に、エンタテイメントにおいて煩雑な権利処理を簡便化して流通の促進を図り、権利を長期的に運用したいとする要望である。そして第二に、より自由に使用したり二次創作等の利用をしたりしたいという要望である。

第5 具体的な立法提案

1 結論

特定の著作物について報酬請求権のみを認めるという制度を定立すべきである。それに際しては、一元化されたデータベース窓口が必要であると考える。
かかる制度内容としては、第一に、特別法の保護下におかれる著作物と著作権法の保護下におかれる著作物という区分を設ける。第二に、登録制度を設け、任意に登録された著作物のみを特別法の保護下におく。そして第三に、特別法の保護を受ける著作物の利用を現行著作権法の権利制限の範囲よりも広く認める代わりに、報酬請求権のみを認めるものとする。
以下、具体的な内容を検討する。

2 制度の検討

まず、第一の特別法の保護下におかれる著作物と著作権法の保護下におかれる著作物という区分を設けることにより、3ステップテストの第1ステップをクリアする。
また、登録は全著作物に強制されるものではなく、あくまで著作権者が自発的にこの制度を選択するものであるから、無方式主義にも反しないものと考える。つまり、現行の著作権法に基づく諸権利で不満のない権利者(ないし創作時点における著作者)は現行著作権法の保護下におかれることになる。
第二の登録制度を設け、登録された著作物のみが特別法の保護下におかれることに関しては、権利期間を設けて更新を行うようにし、登録及び更新には小額の費用を必要とするが、更新を続ける限りにおいて権利が守られるということを提案する。このようにすることで、著作権者側の登録するインセンティブとして、登録の更新により半永久的に権利の延長ができ、存続期間満了後も報酬請求権が持続する。理論上は、登録と同時に商用に適合的な新しい権利が発生し、同時に、著作権法の保護下から外れるという建てつけになる。
なお、登録保護期間が切れた後の扱いについては、記載がない場合と著作権が消滅してパブリックドメインになったと見做すことが考えられる。登録後更新されなかった著作物については商業的採算が合わなくなったものであろうから、利用を行いやすいようにパブリックドメインにして文化還元をすることが文化の発展に寄与するといえる。
第三の報酬請求権について、供託に付せば著作物を使用できるようにするという措置が考えられる。このようにすることで、登録済みの著作物は一定の対価を支払うことで著作権者の許諾を経ずに利用できる。
また、本特別法保護下にある著作物の違法な利用に対しては、登録へのインセンティブとして、非親告罪化することも考慮すべきであろう。なお、翻案については一概に判断ができないため、非親告罪化しないことも考えられる。また、いわゆる「居直り侵害」については逸失利益を超えて懲罰的損害賠償を課すことも検討する。

3 ライセンス契約との比較

本制度は、著作権者の意思で権利内容を設定しているという意味で、ライセンス契約と類似している。したがって、定形化されたフォーマットを作成すれば、本制度と同様の効果を期待できるのではないかとも思われる。
しかし、フォーマットの提供のみにとどめずに制度化することにより、窓口を一元化できるという利点が発生するといえる。詳しくは後述するが、著作権の帰属が統一的なデータベースで把握できるようになるという点でライセンス契約とは異なる。利用者にとっては公示性が向上するため、権利者を探す調査コストが格段に下がることになるといえる。

4 データベースの創設

先述したように、著作物の登録窓口の一元化が可能であり必要である。
仮に、利用料相当額を供託に付せば著作物を使用できるようにし、適法な利用態様である限り著作権者は利用拒否ができないのであれば、流通量は多くなると考えられる。特に、少額決済システムも同時に構築すれば、些少な利用からも収益を確保できることになる。
こうすることで、新しい創作を阻害することなく、無許諾利用に対するエンフォースメントをすることができるようになると考える。
なお、応諾する場所は一つに限定しても著作権管理のサービスや運用をする窓口は複数存在するというあり方が想定できる。つまり現在は混同されがちな著作権管理代理業務とデータベース業務を分離することを意味している。ここで代理業務と呼んでいるものは、あるコンテンツを作成する際に、権利のクリアリングを行い、または、利用のための手続きを代行する業務のことである。このようにすることで、代理業務間の競争が予想され、サービスの向上と多様化が期待される。

5 本制度の課題

上記で言及した以外の本制度採用にあたっての課題として、本制度をワンストップ・ソリューションとするための著作者人格権・隣接権との整合性確保という点があげられる。著作権法50条・43条などとの関係をいかに把握すべきかという問題である。
また、権利侵害へのエンフォースメントとの関係では、3ストライク制度の是非を含めてプロバイダ責任法の改正を検討しなければならないであろう。

スポーツ法及びエンタテイメント法における諸問題(1/2)

第1 報告書の概略

本報告書は、スポーツ法、エンタテイメント法にかかる諸問題をある程度網羅的に概観し把握した上で、特に重要であると考えられる著作権の権利制限における一般条項の導入及び報酬請求権化の是非について検討することをその趣旨としている。
なぜなら、上記分野における政策的課題は多数に上るところ、有限な資源を最大限活用するには、ある程度標的を絞る必要があるからである。経験則上、総花的な施策は施策として意味を成さず、共倒れに終わる傾向にある。
ところで、日本においてスポーツ法、エンタテイメント法は未成熟な分野であると言って良い。産業規模が比較的大規模である(例えば、2008年北京オリンピックの日本向け放映権料は1億8000万米ドルとなっているし、ライブ・エンタテイメントの市場規模は1兆1600億円となっているから、マーケットにおける存在感は大きいといえる。)にもかかわらず、少なくともわが国では法律実務家の関与は限定的であった。なぜ限定的関与に留まっているのかという考察は後述するが、実務上見解の一致を見ていない法的課題が山積している状況であるといえる。
そこで、まずは、スポーツ、エンタテイメント分野におけるわが国の現状を分析し、法的諸問題をある程度網羅的に概観することにしたい。これによって、法的問題の所在と数を大まかに把握することとする。その上で、特に重要な問題として本検討会で議論すべき問題である著作権の権利制限にかかる一般条項及び報酬請求権化について論じる。

第2 日本における現状とその諸問題

1 スポーツ法分野

(1) コンプライアンス
ア わが国の現状
従来、日本のスポーツ界においてコンプライアンスやガバナンスが問題とされることは少なかった。これは、スポーツ組織の運営において上意下達ないし年功序列が法令に代わる規範とされてきたためであると考えられる。
しかし、スポーツ界を取り巻く状況は確実に変化している。2010年の角界を例に引くまでもなく、たとえ今までは見咎められなかったとしても、違法行為や脱社会的行為を行えば、ファンやスポンサーの信頼を失い事業継続の危機に瀕するのである。

イ 問題の所在
そこで、特定分野のみ通用する規範ではなく、社会一般が納得する規範を導入する必要がある。すなわち、会社法により企業が直面しているガバナンスやコンプライアンスのコストを、今後はスポーツ界も負わなければならない。特に、平時においては、手続の監督すなわちルールの設定と公表及び公正な手続の遵守することが肝要となる(有事の際、すなわち紛争発生後については後述する調停・仲裁を参照のこと)。
とはいえ、上述のような意味での「スポーツ法」を浸透させることは、規範意識の変更を要するため、困難を伴う。
また、コンプライアンスによる負の外部効果も起こり得る。例えば、コーチではなく審判員にアスリートの選抜権を与えることは、コーチによる恣意的選抜(いわゆる「依怙贔屓」)を排除し、選考を透明化する上で望ましいと評価することができる。しかし、団体競技においては個々人の成績だけでなくアスリート間の相性や人間関係も重要である。そのことを考慮せずに選抜すれば、チーム運営に支障をきたし競争力にも影響する。よって、アスリートの相性や性格を検討させるなど、コーチはある程度裁量を必要とする。
したがって、このようなコンプライアンス制度の構築を求めると共に、設計について、スポーツ分野それぞれの特性に応じて検討し、必要に応じて裁量規制をかけることが課題となっている。

(2) スポーツ仲裁・調停
ア わが国の現状
平時の際は、ルールの設定と公表及び公正な手続の遵守することが肝要でありその具体的手続きが課題となっていることは前述のとおりである。これに対して、有事の際には、原因を究明する第三者委員会を設置したり、不利益処分に対する不服申立制度を利用したりすることが行われており、その制度も完備されつつある。
スポーツ仲裁は、シドニーオリンピックにおける競泳日本代表選考の事案によって巷間に上るようになったが、第三者機関の設立には、アンチ・ドーピング運動と密接な関係がある。すなわち、長期間の出場停止と無過失責任という処分の重さ、及び、限定列挙にすると簡単に回避できてしまうため事後的判断を行わざるを得ないことから、処分権者以外の第三者機関に判断を仰ぐ必要性が高いのである。
そして、トップ・アスリートにかかる紛争の処理において中心的役割を果たすのが1983年に設置されたスポーツ仲裁裁判所(CAS)である。わが国においては2003年に日本スポーツ仲裁機構(JSAA)が設置された。上記仲裁制度により、トップ・スポーツの公正さと透明性、判断の明確さが担保されているのである。

イ 問題の所在
しかし、わが国においてスポーツ仲裁・調停の利用は低調である。また、スポーツ仲裁自働受諾条項の採択状況も44.3%に留まるから、今後の普及が課題となろう。
また、JSAAの判断には仲裁法の適用は無いため執行が予定されていないことも問題である。諸外国、例えば、CAS仲裁は法的仲裁と位置付けられており、スイス民事訴訟法の適用があるため、執行ができる。しかし、日本におけるスポーツ紛争は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」にはあたらないと考えられるため、事実上の効果しか認められない。よって、マスコミ等を介するピアプレッシャーを期待できない場合の解決をどうするべきかが問題となる。

(3) 独占禁止法上の問題
ア わが国の現状
上述のとおり、一般に、スポーツ界を担う人々が法律上の問題と直面することは稀であったといえる。その少ない例外のひとつが独占禁止法上の問題である。近年ではプロ野球において、オリックス近鉄の合併事例や楽天の新規参入など球界再編と独禁法との関係が問題化した。

イ 問題の所在
例えば、野球協約31条によれば、日本プロフェッショナル野球連盟に新たに参加しようとする球団は、実行委員会及びオーナー会議の承認を得なければならないとなっている。また、旧規約36条の5では、加盟料が60億円となっていた。独占禁止法3条前段は私的独占を禁じているところ、事業者団体に加入していなければ事業の継続が困難な場合であれば、同条に抵触する。そして、各チームのオーナーが拒絶している、又は、加入を拒否しないにしても、合理性のない負担金を課すことによって実質的に新規参入を制限する場合は、私的独占に該当すると考えられる。
そこで、本協約は保証金25億円(ただし10年間チームが存続すれば返還)、加入料5億円と改正された。しかし、承認要件は残存しているため、違反の可能性は否定しきれない。このほかにも、プロ野球には契約交渉の制約であるドラフト制度など独占禁止法上違反とされうるような制度をとっている。

(4) 契約実務
ア わが国の現状
スポーツに関する契約実務もまた、法律実務家の関与が及んでいる例外的領域であるといえる。特に、スポーツイベントは優良コンテンツとして巨額の放映権料が支払われるため、法律実務家による契約チェックが行われている。多くのスポーツにとって、放映権料は主たる収入源となっているからである。ただし、スポーツ放映権の根拠、権利の帰属が理論上問題となりうる。
他方、同じ契約実務でも、アスリートの移籍等に関するマネージメント業務については、リーガル・マーケットとして成立していない状況である。このことは、米国におけるエージェントないしマネージメント会社の隆盛と比較するまでもない。
エージェントの不在によって、アスリートの生涯賃金や地位が低下している可能性は高い。加えて、このような現状がアスリートの海外進出を促進し国内競技の魅力を減退させていることも考えられる。

イ問題の所在
そもそも、わが国において代理人業務が市場として成立していないのは、アスリートの受け取る年俸自体が、MLB等と比べて低額であることもさることながら、協会の規約によるところが大きい。
すなわち、プロ野球については、野球協約50条によって対面契約が義務付けられおり、JリーグについてはJリーグ規約95条によって代理人の関与が禁止されている。また、総合格闘技など統一契約の存在しない競技については、アスリートの移籍自体が困難な場合が多いことも指摘できる。
よって、利益相反に留意しつつ代理範囲を拡張すること及び統一契約ないしモデル契約を策定することが今後の課題となる。

2 エンタテイメント法

(1) ファイナンス
ア わが国の現状
エンタテイメントは、映画、音楽、ゲーム等著作物となりうるコンテンツをその対象としている。コンテンツの製作には資金が必要であり、特に映画は多額の資金を要する。よって、エンタテイメント法においてファイナンスは重要な位置を占めている。
わが国の映画製作において最も多用されているファイナンス・スキームが、製作委員会方式である。製作会社、広告代理店、配給会社、金融機関など複数の会社が資金を出資しあって映画を製作するものである。かかる方式のメリットは、(1)業界における馴染みある手法であること、(2)参加者の態様に応じた柔軟な仕組みであること、(3)課税面で優遇を受けられること(道管性、フィルムの減価償却等)が挙げられる。

イ 問題の所在
無論、製作委員会方式にはデメリットも存在する。それは、(1)著作権等の権利関係の不明確さ、(2)外国への分かりにくさ、(3)外部資金調達の困難さ、(4)対外的な無限責任、(5)顔ぶれの固定化によるリスク回避的行動(企画・製作のパターン化)などである。
(1)は、誰が決定権・拒否権を持っているか曖昧になっていることで、当初予定されていなかったビジネス展開をする際に、意思決定が遅れたり出来なくなったりするという問題が生じる。(2)についても、海外展開をする際の足枷となって、コンテンツが塩漬けにされるおそれを高めてしまうといえる。加えて、(3)(4)は、出資者のリスクを高めるといえる。また、(5)のマンネリ化によって映画産業全体の魅力が低減してしまうと評価できる。
そこで、製作委員会方式以外のビークルを検討する必要がある。具体的な選択肢としては、匿名組合(商法535条)、有限責任事業組合(LLP法に基づく)、信託(信託法による。資産流動型と運用管理型がある)がある。そして、どのようなビークルで出資を集めるかについては、(1)有限責任制、(2)課税透明性、(3)倒産隔離、(4)組成コスト、(5)コントロール・内部関係、(6)金融商品取引法上の規制などを勘案して決定すべきである。
しかし、一時勃興しつつあったコンテンツファンドも現在では退潮の傾向にある。ジャパン・デジタル・コンテンツ信託の事例は、その象徴とされた。そのため、信託形式は、今後出資者の間で躊躇される可能性が高いといえる。

(2) 契約実務
ア わが国の現状
上述したとおり、エンタテイメント法の客体たるコンテンツは多くの場合著作物である。かかる権利を譲渡しようとする場合には、制作・開発・権利のクリアランスが必要となる。
ところが、わが国のエンタテイメント界においては、契約内容が書面化されていないことが少なくない。これは、「業界の顔役」などと呼ばれる年長者等が紛争処理にあたっていたためであると考えられる。

イ 問題の所在
よって、過去の契約については内容の不明確さというリスク・ファクターが生じている。
このほかのリスク・ファクターとしては、アーティストは下積み時代に生活に困窮することが多いため、将来にわたる著作物にかかる権利を譲渡するなど包括的かつ将来的契約締結している可能性があるということがある。
これらに加えて、過去の契約において新しいメディアの利用権がどの範囲まで許諾されていたかが問題になる事例も多い。
以上は、契約内容が明確でないことに起因する課題であるが、新たに契約を締結する場合でも、翻案権・二次的著作物の利用にかかる権利の特掲(著作権法61条、27条・28条)、著作者人格権(同法18条以下)の不行使特約など権利のクリアランスに関して留意すべき点は多い。
また、美術の著作物の場合は著作者と原作品の所有者が異なるということが生じるため、著作権と展示権の抵触が起こり得る点に注意が必要である。そして映画の著作物の場合は、著作権法28条に基づく二次的利用に対する報酬請求権が事後的に問題になりうる。
このように、契約慣行の特殊性から従前は契約内容が書面化されていないことが多かった。よって、エンタテイメント法は契約実務が固まっていない領域であるといえる。しかも対象となるコンテンツによって注意すべき点が異なる。しかし、権利のクリアランスや決定権・拒否権の所在を明らかにしておくなど基本的視点は変わらないものということができる。

(3) 肖像権・パブリシティ権ネーミングライツ
ア わが国の現状
いわゆる肖像権及びパブリシティ権は、実体法に明文の規定はないものの、裁判例によって認められ形成されてきた。ここでいう肖像権とは、「みだりに自己の容貌や姿態をその意に反して撮影され、撮影された肖像写真や映像を公表されない人格的な権利」を指し、パブリシティ権とは、芸能人等の有する「顧客吸引力のもつ経済的な利益ないし価値を排他的に支配する財産的権利」のことをいう。スポーツ・エンタテイメントのビジネス上問題となりうるのは、後者の経済的・財産的権利たるパブリシティ権である。
また、契約法上付与される権利として、ネーミングライツ(施設名称権)が一般化されつつある。ネーミングライツは、スタジアム等の所有者が、施設の名称を定めうる権利等を対価の支払いと引換えに付与するものである。

イ 問題の所在
上述のとおり、パブリシティ権は、制定法によらない新しい権利であるため、保護の限界や権利範囲が不明確であることが指摘できる。この点、諸外国においてはパブリシティ権を一定の範囲で保護する制定法を置いている例もある。この場合はわが国のような不明確さの問題は生じにくいといえる。
そして、明文化されていない権利の範囲は、権利の法的性質・根拠をいかに捉えるかという解釈論によって大きく影響される。パブリシティ権の法的性質としては、?人格権説、?財産権説、?不正競争防止法説など見解が分かれている。
また、パブリシティ権の範囲と共に、その帰属も別途問題となり得る。すなわち、芸能人本人・アスリート本人にその享有主体性があることは明らかであろうが、芸能プロダクションや所属チームとの関係については必ずしも明らかでない。芸能プロダクションや所属チーム等にパブリシティ権が認められないのであれば、非弁活動として弁護士法違反に問われるおそれもある。
さらに、パブリシティ権・肖像権を一身専属的な権利と解するべきか否か、本人の死後のパブリシティ権・肖像権の存続の有無についても未整理の課題である。
なお、ネーミングライツについては、地方公共団体の新たな財政源として活用例が増加しているといえる。しかし、ネーミングライツを付与した企業の不祥事に起因する契約解消、名称変更などの問題が発生しているし、予定価額を下回るなどのマッチングの問題なども生じている。

3 本稿において検討すべき課題

(1) 定義
以上、スポーツ、エンタテイメント分野についてわが国の現状を分析し、法的諸問題をある程度網羅的に概観した。そのため、以下では、特に重要な問題であると考えられる著作権の権利制限にかかる一般条項導入及び報酬請求権化について論じる。
著作権の権利制限とは、その名のとおり、著作権者の権利を制限する規定であり、わが国著作権法では30条以下又は支分権各条において制限事由が限定列挙されている。しかし、形式的には権利侵害規定には妥当しないものの侵害を問うには妥当でない行為が多数存在しているとの問題意識の下、権利制限を認める一般条項を導入すべきという立法論がある。
また、報酬請求権化とは、許諾権ないし禁止権に分類される著作権を報酬請求権のみ認める権利態様に変更するという立法論をいう。かかる立法論の背景には、著作権が許諾権であるがゆえにイノベーションや円滑な流通が阻害されてきたのではないかとの認識があると考えられる。

(2) 議論の実益
上記の問題が特に重要だと考えるのは、2つの理由による。第一に、スポーツとエンタテイメントの両分野におけるファイナンスと関係する問題であるということである。第二に、契約実務と関係する問題であるということである。
既に述べたように、スポーツイベントの放映権料は主たる収入源となっている。そしてその権利の根拠は著作権法上の映画の著作物に該当するという点に求められていた。よって、かかる問題は、スポーツにおけるファイナンスと関係しているといえる。
また、権利制限の一般規定導入や報酬請求権化のメリットとして挙げられているコンテンツ流通の促進は、エンタテイメントにおけるファイナンスと密接な関係がある。二次的利用が促進されれば、投下資本の回収がしやすくなり、資金調達をしやすくなるといえるからである。
そして、上述のようなエンタテイメント法における契約内容の不明確さ、不安定さは報酬請求権化によって一部解消されうる。なぜなら、禁止権を前提とする差止めによる損害よりも報酬請求権を前提とする使用料相当額の請求の方が打撃が小さいと考えられるからである。

(3) 問題の所在
では、なぜ上記の問題が議論されているのだろうか。
そもそも、権利制限の一般条項導入の是非にせよ、報酬請求権化の議論にせよ、問題の核心部分にあるのは、2つの立場の対立である。そこでは排他性の限界が問題となっており、有体物を前提として発展してきた「財産」概念が、どこまで無体物である知的財産に適用できるかということである。有体物も無体物も同じように価値があるものについては権利が発生するという発想は、理論的には飛躍がある。そのため、その根拠と法的性質をいかに解釈するかによって異なる2つの立場が生じているのである。
第一の立場は、自然主義的考えに立脚している第二の立場は、功利主義的考えに立脚している。功利主義的考えによれば、元来公共財である情報について著作権を認めたのは、創作のインセンティブを付与するためである。よって、市場選好などに委ねるべき場合は、権利を付与しないこともありうるという結論が導かれうる。対して、自然権的考えであると、労働や知的活動の関わることについて当然に権利が発生するということになる。よって、人権たる著作権を国家が奪うことは原則として許されないという結論に至る。

産科医療における無過失補償制度について(5/5)

2 論点
(1)補償の目的
ア 補償と原因究明
上記のような構造を有する産科医療補償制度にはいかなる論点が存在するかを検討する。
本制度は、(1)分娩により重度の脳性麻痺となった児及びその家族に対して速やかに補償するとともに、(2)脳性麻痺の原因分析を行い、再発防止策を講ずることにより、(3)紛争の防止・早期解決および(4)産科医療の質の向上を図ることを目的としている。
しかし、(1)迅速な補償と(2)原因究明という2つの目的は、ときとして相反する理念となりうるとの懸念が表明されている。すなわち、原因究明は責任追及をするためのものではなく、かつ、無過失でも患者・家族に補償されるとなれば、民事責任との切断が一応生じるので、医療者が原因究明に協力的になるとも考えられる。しかし、原因分析委員会の調査権限が限定されている点や報告書が公表される点などを考慮すれば、訴訟における証拠されることを恐れて医療者が十分な診療録等を提出しないということも想定しうる。そのため、補償制度と原因究明活動は切り離すべきであるとの立論も可能である。
他方、産科医療の疫学的資料としての価値や家族への十分な説明という側面から、補償制度と原因究明活動を両輪とする利点もある。
現行制度は民事訴権を奪うものではなく出訴可能であるから、不法行為法制度における矯正的正義の側面に原因究明機能を補完させるという選択が妥当であると考える。しかし、その場合、(3)紛争防止や早期解決という目的は、一定の譲歩を迫られることになる。
また、訴訟という場は、真理の追究自体を目的とするものではない点にも留意が必要である。そのため、(4)産科医療の質の向上という観点から、原因分析委員会の報告書はなお意義を有するものと考える。

イ 訴訟リスクの軽減
(3)紛争防止に関連して、現行制度では直接の目的とされていないが、(5)医療者の訴訟リスクを軽減することを目的とすることも考えられる。その場合、総合救済システム構想のように、補償対象については不法行為訴権を廃止し、または、諸外国の立法例のように、訴権や求償額につき一定の制約を加えることも考慮されることになるだろう。
ただし、仮にこのような目的を採用するのであれば、救済概念が質的に変化し、分配的正義に純化した制度になりうる点に注意を要する。また、財団法人日本医療機能評価機構から原因者への求償関係の問題も検討しなければならない。
しかし、補償の存在が被保険者のリスク回避行動を阻害するモラルハザード問題が認識されていることを鑑みれば、実際に導入するのは政治的に困難であると考えられる。

(2)補償の対象
ア 先天的要因の除外
補償の対象は、前述のように、通常の妊娠・分娩にもかかわらず児が重い脳性麻痺となった場合に限定されており、先天性の要因等による脳性麻痺については、補償の対象外となっている。先天的要因を除くのは、無過失責任であることと財源の制約とを考え合わせた結果であるとされる。
しかし、このような対象の絞り込みについては、先天的な要因等により補償が受けられない脳性麻痺児と補償の対象となる脳性麻痺児との間に大きな経済的格差が生じるため、問題であるとされる。さらに、先天性かそうでないかの判別は医療者であっても難しいところがあるとの指摘もあり、鑑定結果次第で補償に大きな差がひらくのはやはり妥当ではないといえよう。

イ 未熟児の除外
また、妊娠週数33週を下回って出生した児を除く理由は、未熟児においては脳性麻痺となる確率が、通常児に比して高く、結果の発生に医療者の行為が介在しないことが多いというものであると説明されている。「出生体重が2000グラム以上かつ妊娠33週以上」という基準を設ける以上、「なぜ1950グラムの児は対象とならないのか」という趣旨の批判は、基準を設ける限り、どこまでも付きまとうだろう。
そのため、現行制度では、緩和策として基準を下回る場合であっても、妊娠28週以上で所定の要件に該当した場合は補償の対象とする例外を認めている。

ウ 脳性麻痺以外の領域
本稿の冒頭において、新生児脳性麻痺に関しては、統計上、訴訟率が非常に高いという特徴があると述べた。しかし、(鄯)迅速な補償、(鄱)原因分析による再発防止、(鄴)紛争の防止・早期解決、(鄽)産科医療の質の向上などの目的は、他の分野にも該当するものである。
本制度の立案過程において、財源上の限界により緊急度の高い課題から優先して取り組むことが明らかにされているから、今後、無過失補償制度の対象は拡大をするかもしれない。しかし、すべての人身傷害を対象とすることは、財源との関係で困難であると考えられる。そうなると緊急度とは何かということが問われ、また、制度理念の洗い直しが必要になることが予想される。

(3)補償の範囲
ア 支給額
産科医療補償制度は、補償対象者には、一時金600万円と分割金総額2400万円(20年にわたり毎年120万円)、計3000万円が支払われる。
金額の多寡については様々な見方がある。児の親などからは諸外国と比べて少なすぎるとの声が上がる。しかし、あまりに高額にしてしまうと、上述のような補償対象外の児との不公平感が増し、医師が補償認定をためらうのではないかとの懸念もありえる。
また、産科医療補償だけが社会福祉ではない。20歳未満の1級重度障害児への特別児童福祉手当は年額約60万円、障害児童福祉手当は年額約17万円である。成人すれば障害年金が支払われる。脳性麻痺は、成長により症状が変化することもあるため、医師が診断に慎重になる面もあるから、支払額の不足を問題にするのであれば、他の社会福祉を充実させることも検討すべきであろう。

イ 運用
産科医療補償制度は、補償対象者数を年間500〜800人と見積もって運用を開始したが、10ヶ月間で支給件数は34件にとどまっていることが報道された。そのため、今後、支給件数が大幅に増えない限り、数十億円規模の剰余金が発生する可能性がある。しかし、余剰金が出ても返還する予定はないとされているので、保険会社が実支給額の差額を得ることになりそうである。そのため、従来より、余剰金が発生する場合は、脳性麻痺児のトータルケアに使うなどが検討されるべきとの指摘があった。
開始時には不確定要因が多かったのではないかと推察するが、今後見直しと検討が必要であることは言うまでもない。このような問題は、民間の保険会社をいかに活用するかにつながるため、補償対象者数の見直しや補償額の引上げにとどまらず、制度設計全体を再検討することが望ましい。

ウ 資金拠出者
産科医療補償責任保険は、公的救済制度の建前をとりつつ、出産育児一時金を掛け金とみなして制度設計が行われているから、社会保障制度に近似していることは、すでに指摘したとおりである。
社会保障制度と公的救済制度は異なる理念に立脚しており、その制度的限界も差異が生じる。社会保障制度では、民事責任との関係は断ち切られ、資金の拠出者は、侵害者または潜在的侵害者とは無関係に定められるのに対し、公的救済制度は、資金の拠出者を損害発生の原因者及び損害を発生させる潜在的な可能性がある者に限定している。侵害者との関係を全く断ち切るものではないため、補償の対象は、一定の活動に関連して損害が発生したことを要件として画されることになる。
社会保障制度に近似させるのであれば、潜在的侵害者とは無関係に定められるのであるから、現在の補償対象に限定する理由、さらには、産科医療に限定する理由を現在より詳細に説明しなければならないだろう。
このような制度設計のねじれは、制度目的や理念との乖離を生じさせるので避けなければならない。今後補償範囲拡大の議論をする際に、迷走の要因となりかねず、将来に禍根を残すことになると考えられる。

まとめ

産科医療補償制度は、理念や目的そのものは妥当であるものの、補償対象、支給額、剰余金の処理、民間保険会社との関係などについて今後見直しをすべき論点が散見される。ただし、無過失補償制度の運用開始という不確定要素に鑑みれば仕方のない面もあり、また、今後の検討により修正可能なのではないかと思われる。
しかし、資金拠出者について、形式と実態が異なる点は看過できない。救済をどのように位置づけるかという制度理念に関わるためである。

産科医療における無過失補償制度について(4/5)

産科医療における無過失補償制度の検討

1 産科医療補償制度
(1) 制度創設の経緯
被害者救済という観点からすれば、全医療を対象として無過失補償制度を実施することが望まれるが、補償対象を拡大すれば財源上の限界という問題に直面する。そこで、緊急度の高い課題から優先して取り組む必要がある。以上のような認識を背景として、日本医師会の提言に応える形で2006年11月に自由民主党政務調査会社会保障制度調査会・医療紛争処理のあり方検討会は、「産科医療における無過失補償制度の枠組みについて」という政策の大枠を提示した。
これを受けて、2007年2月、厚生労働省は、財団法人日本医療機能評価機構に事業を委託し、同機構において産科医療補償制度運営組織準備委員会が開催されることとなった。同準備委員会は、2008年1月「産科医療補償制度運営組織準備委員会報告書」をまとめ、それを基にして2009年1月から産科医療補償が開始された。

(2) 制度概要
産科医療補償制度は、通常の妊娠・分娩にもかかわらず児が重い脳性麻痺となった場合を対象とし、医師の過失の有無にかかわらず、計3000万円の補償が支払われるものである。
分娩により重度の脳性麻痺となった児及びその家族に対して速やかに補償するとともに、脳性麻痺の原因分析を行い、再発防止策を講ずることにより、紛争の防止・早期解決および産科医療の質の向上を図ることを目的としている。

(3) 財源
産科医療補償制度は、分娩機関(分娩を取り扱う病院、診療所、助産所)が保険に加入することが前提となっている。すなわち、各分娩機関は、補償金支払いによる損害を担保するため、財団法人日本医療機能評価機構を通して、産科医療補償責任保険に加入する。以下、このような分娩機関を「加入分娩機関」と呼ぶ。
加入分娩機関が支払う保険料は1分娩あたり3万円であるが、実質的には、妊婦が支払う出産費用に上乗せされる。
しかし、本制度の開始に合わせ、出産育児一時金の支給額が35万円から3万円引き上げる政令の改正が行われた。そのため、産科医療補償制度は公的救済制度の建前をとっているものの、実際は出産育児一時金により賄われていることになる。出産育児一時金は健康保険の一部であるから、国民皆保険を前提とすれば、産科医療補償制度社会保障制度に限りなく近似していると評価できるのである。

(4) 手続・運用
補償の対象は、前述のように、通常の妊娠・分娩にもかかわらず児が重い脳性麻痺となった場合に限定されている。具体的には、(a)平成21年1月1日以降に加入分娩機関において、(b)出生体重が2000グラム以上かつ妊娠33週以上で生まれ、かつ、(c)重度の脳性まひになった児である。
すなわち、先天性の要因等による脳性麻痺については、補償の対象外となっている。
なお、上記基準を下回る場合であっても、妊娠28週以上で所定の要件に該当した場合は補償の対象となる場合がある。
児(またはその保護者)が補償金を請求するためには、 身体障害者等級の肢体不自由認定に係る小児の診療等を専門分野とする医師又は小児神経専門医によるこの制度の専用診断書を取得し、必要書類と合わせて分娩機関に提出し、補償認定を依頼する必要がある。認定を依頼できる期間は、出産後1年から5歳までに限定されているが、診断が可能な場合は生後6ヶ月以降でも可能である。
加入分娩機関は受け取った診断書等を財団法人日本医療機能評価機構に提出し、補償認定を請求する。そして、同機構は審査委員会において補償認定の審査を行う。
補償対象として認定された場合は、同機構からの案内にそって補償金(一時金と毎年の分割金)を順次請求し、それに基づいて運営組織が保険会社に保険金請求を行う。保険会社は補償請求者に保険金を補償金として支払う。(なお、審査結果に不服がある場合は、再審査の請求を行うことができる。)一時金600万円と分割金総額2400万円(20年にわたり毎年120万円)、計3000万円が補償金として支払われることが予定されている。

(5) 原因分析
上述したとおり、脳性麻痺の原因分析を行うことも、産科医療保障制度の目的のひとつである。そこで、原因分析を公平で中立的な立場で適正に行うため、財団法人日本医療機能評価機構に第三者委員会である原因分析委員会が設置された。
原因分析委員会の委員は、法律家、医療を受ける立場の有識者で構成される。具体的には、内部組織として6つの部会が置かれ、各部会は、産科医3 名、小児科医(新生児科医を含む)1 名、助産師1 名、弁護士2名の計7 名の委員から構成される。弁護士の部会委員は、論点整理や、報告書を児・保護者にとって分かりやすい内容とする役割を担うとされる。なお、助産所や院内助産所の事例については、各部会に所属する助産師の委員に加えて、2 名の助産師が審議に加わることになっている。
委員会は、加入分娩機関から提出された診療録等に記載されている情報及び保護者からの意見に基づき、医学的な観点から原因分析を行うとともに、今後の産科医療の質の向上のために、同じような事例の再発防止策等の提言を行う。
つまり、原因分析は、責任追及を目的とするものではない。分娩経過中の要因とともに、既往歴や今回の妊娠経過等、分娩以外の要因について原因を明らかにすることを主眼としている。医学的評価は、検討すべき事象の発生時に視点を置き、その時点で行う妥当な分娩管理等は何かという観点で、事例を分析することになる。そして、既知の結果から振り返る事後的検討も行って、再発防止に向けて改善につながると考えられる課題が見つかれば、それを指摘し、類似事例の再発防止を提言する。
原因分析及び提言は報告書にまとめられ、分娩機関および児・保護者に開示されるとともに、再発防止や産科医療の質の向上のため、個人情報および分娩機関情報の取り扱いに十分留意の上、公表される。
なお、原因分析開始から報告書の完成まで、概ね6月から12月の期間を要すると考えられている。

産科医療における無過失補償制度について(3/5)

各国の制度

1 概論
(1) 類型
補償制度の類型としては、以下のような3種類があるといわれる。
第一に、社会保障制度が挙げられる。この制度の下においては、民事責任との関係は断ち切られている。すなわち、資金の拠出者は、侵害者または潜在的侵害者とは無関係に定められる。そのため、財源を広く一般財源に求めることができる。損害発生の危険性とは無関係に収入に応じた支払いをすることもできる。
第二に、公的救済制度である。これは、資金の拠出者を損害発生の原因者及び損害を発生させる潜在的な可能性がある者に限定している点で、社会保障制度と異なる。侵害者との関係を全く断ち切るものではないため、補償の対象は、一定の活動に関連して損害が発生したことを要件として画されることになる。
第三に、責任保険である。これについては前述したとおりである。公的救済制度との差は、過失責任及び侵害者の保険加入が補償の前提となっている点である。

(2) 長短
社会保障制度は、すべての国民に損害発生の原因を問わず補償がなされるという意味で、救済平等という観点から優れているといえる。前述した総合救済システム構想は、この平等性・公平性を重視しているものであった。
しかし、社会保障制度の下では、誰が損害を発生させたかを明らかにし、社会的責任を負わせるという不法行為法の機能のひとつはうまく働きにくいという短所が存在する。
裏を返せば、社会的責任の追及という面で優れているのが責任保険制度である。その反面、侵害者の保険加入の有無により補償が左右されると言う点で、救済平等という観点からは不十分である。
また、国家の関与という点では、社会保障制度の方が関与度は高く、責任保険に近い方が民間活用の機会は多くなる。
折衷的なものが公的補償制度であるが、以下で各国の制度を概観するところからもわかるように、折衷的といっても、様々な制度設計が考えられる。

2 ニュージーランド
(1) 概要
ニュージーランドにおいては、事故補償法が1974年に制定された。これにより、偶然の事故によって生じた全ての人身傷害につき、加害者の過失の有無を問わず、被害者の損害が補償されることになった。

(2) 財源
財源は税金である。(イ)すべての就業者・自営業者が事故経験率に応じて定められた保険料を支払う就労者口座勘定、(ロ)自動車の保有者・業務用免許保持者が支払う保険料及びガソリン税により賄われる自動車口座勘定、及び(ハ)一般財源から成る。
また、1998年改正により、保険会社の支払不能リスクに対処がなされている。つまり、保険会社の支払能力不足により補償されなくなるおそれがあるが、財務の監督を強化し、また、支払不能保険基金を創設することで、支払漏れのないような工夫がされた。

(3) 手続・運用
人身傷害を受けた者は、独立の行政機関(ACC)へ直接申立て、ACCは申立てに基づき、合理的な判断により補償の支払いを決定する。ACCの審査官は、原則として、聴聞を行い、独立して決定を下す。補償金の支払は、国の基金から拠出され、支払われる損害額は所得の80%と法定されている。
この審査決定に不服がある当事者(請求者、ACC、使用者、医療者)は、裁判所に提訴することができるが、一度補償を受ければ、その後の民事訴権は失われる。

3 フランス
(1) 概要
フランスでは、2002年に「患者の権利及び保健衛生システムの質に関する法律」及び「民事医事責任に関する法律」によって公衆衛生法が改正され、無過失を含めた補償制度が導入された。医療者側の反対を押し切る形で、大胆な変革を実現したものであり、フランスではおおむね立法府による英断と評されていたようである。
その内容は多岐にわたるが、とりわけ重要とされるのが、?医療者の過失なき医療事故領域に損失補償の原理を導入したこと、?医療事故の裁判外紛争処理機関を設け、これと裁判手続き及び保険者との有機的連携を図ったことである。

(2) 財源
収入は、疾病保険金庫などからの一般交付金、鑑定費用の償還額、賠償責任者・保険会社への制裁金、国の拠出金により支えられている。

(3) 手続・運用
ただし、医療者・医療機関には罰金付きの保険加入義務が定められている。保険契約には保障限度額を設定できるが、損害額が限度額を超過しても、全国医療事故保障局(ONIAM)が保険者に代わって超過分を支払うため、限度額や医療者の資力に左右されず、患者は全額の賠償を受けることができるようになった。ONIAMは、保健衛生大臣の管轄する公施設法人である。
なお、法改正により、リスクの高い医療事故損害保険の締結を余儀なくされた保険会社は、当初、大幅に保険料を引き上げ、あるいは、市場から撤退するなどの行動に移った。そのため、後日、保険契約の保証期間の制限などの修正が施されることになった。

(4) 立法までの経緯―判例法理の存在
フランス法においても過失責任原則が妥当する。しかし、フランスの判例法理においては、医療者の責任に帰しえない医療事故による身体損害(以下、「偶発性医療リスク」という。)が救済の対象とならないことを問題視し、過失責任原則を乗り越えようとの試みが見られた。それが、医療者が契約上の付随義務として安全保証義務を負うことを認める法理論である。
安全保証義務は、手術によって結果的に患者が損害を受けた場合、その損害が患者の手術前の状態及び経過と無関係に生じたものなのであれば、医療者は過失がなくても賠償責任を負うというものである。
このような法理論は、複数の下級審が支持していたが、2000年に破棄院が過失責任原則の厳格な適用を示唆する判決を下した。かかる判決が一つの契機となり、上記法改正に至った。
上記のような経緯もあり、偶発性医療リスクについては上記改正法により救済の対象となるが、医療事故・医原性疾患については従来の過失責任原則がそのまま妥当する。

4 ドイツ
(1) 概要
ドイツにおいても、1970年代前半から医療過誤訴訟が急増し、その対応策として裁判外紛争処理機構である調停所が設立された。調停所は、裁判外で、賠償責任がある医療過誤かどうかという専門家の鑑定により患者と医師を調停する機関である。

(2) 手続・運用
しかし、患者は、調停所の判断には拘束されず、訴訟を提起することもできる。一方、調停所が医療過誤を認めた場合には、医師賠償責任保険により患者に賠償金が支払われる。ただし、保険会社も調停所の鑑定に拘束されない。
そのため、この裁判外紛争解決の利点は、患者に費用負担がなく、また患者の請求にかかる時効が中断することにあるとされる。
また、ドイツ国内の医師はすべて、職業義務に従って第三者保険機関に加入しなければならない。よって、被告は保険機関ということになる。しかし重大な医療ミスが立証された場合には、保険機関が医師に求償することもあるという。
そして、保険料の計算は、医療過誤のリスクが最も高く、また賠償請求額が最も高い専門領域ほど、高い保険料を支払わなければならない。産科の医師は、これに含まれている。

5 フロリダ州
(1) 概要
米国のフロリダ州では、1988年に新生児脳性麻痺に対する補償制度(NICA)が制定された。通常妊娠で2500グラム以上、多胎妊娠では2000グラム以上で出生した児を対象としており、先天性障害は補償の対象にならない。

(2) 財源
NICAは、基金に対する医療機関に参加義務を課しており、加入者は基金に対して毎年賦課金を支払わなければならない。産科医個人の参加は任意とされている。

(3) 手続・運用
NICAによる補償を受けるには、医療機関または産科医が参加していることが前提条件となる。医療機関等が基金に参加していた場合には、児の両親からの申立てにより、行政裁判官が、適用対象となるかを判断した上で、フロリダ州の行政審判が下される。
補償金支払いの決定がなされれば、出生時の損害について、以後、訴訟を提起することは原則としてできないとされる。
補償条件を充足しない場合または補償金支払決定前であれば、児の両親は、訴訟を提起することになる。

6 小括
ニュージーランドは基本的に全ての国民の拠出の上に成り立っており、公的な保障としての側面が強い。すなわち、社会保障制度としての側面が強いものの、一部で公的救済制度を用いているということができる。他方、フランス・ドイツ・フロリダ州は、公的救済制度と責任保険制度を組み合わせていると評価できるだろう。そして、4地域とも、完全には民事訴権を排除しておらず、不服のある者や補償を受けられない者が別途訴訟を提起する道を残しているといえる。
フランスの制度は、補償制度と賠償制度の二段構えになっており、しかも賠償責任保険の加入を義務化することで、救済漏れのないよう配慮されていると評価できる。ただし、その分、通常の市場取引であれば負わなくても良いリスクを損害保険会社に負うように強いていると見ることもできるから、妥当性について、なお問題が残る。

産科医療における無過失補償制度について(2/5)

2 社会保障法・保険法
(1)概論
ア 保険の定義
保険を定義した法規定は存在しないが、一般に保険とは、同様の危険に晒された多数の経済主体が金銭を拠出して共同の資金備蓄を形成し、各経済主体が現に経済的不利益を被ったときにそこから支払いを受けるという形で不測の事態に備える制度をいう。

イ 公保険と私保険
保険は公保険と私保険に大別できる。公保険とは、国その他の公共団体が公的な政策目標の実現手段として行う保険をいい、私保険とは、純然たる経済的見地から行われる保険をいう。
公保険は、社会政策目的を実現するための社会保険を主としており、具体例としては、健康保険(健康保険法)、年金保険(厚生年金保険法等)、雇用保険雇用保険法)などがある。公保険は、加入者から保険料を徴収して需要が発生すれば保険料を支払うという保険の仕組みを利用している。しかし、保険料がリスクや保険料ではなく所得額に比例している場合には、給付反対給付均等原則が成立しない。また、保険加入が強制されていることも多いから、私保険とは異なる性質を有するといえる。
他方、私保険は、国家財政による補助は予定されておらず、加入強制もなく、保険法・民法などの私法によって規律されている。とはいえ、自賠法に基づく自賠責保険は、保険会社が行う私保険ではあるものの、自動車法保有者は加入が義務付けられており(自賠法5条・24条)、保険会社による利益追求も許されていない(同25条-27条の2)。そのため、私保険のなかにも公保険としての色彩を帯びるものも存在する。

ウ 責任保険
責任保険とは、被保険者が損害賠償責任を負うことによって生じることのある損害を補填することを目的とする保険契約とされる(保険法17条2項)。
責任保険は、第一義的には、賠償責任を負う加害者を救済するものであるが、同時に、被害者保護機能をも有する。すなわち、加害者の資力を補完することにより、被害者が賠償を受けられることが確実になるのである。
この被害者保護機能は、不法行為制度と共通する。不法行為法制度との競合というと、公保険にともなう社会保障法制度をまず想起するかもしれないが、私保険である責任保険においても、被害者保護機能を有しているといえるのである。
さらに、責任保険は、加害者の資力を担保し、資力の有無・程度による救済の不平等を是正する機能を有すると評価することができる。かかる機能を狙って、自賠責法などでは、加入が義務化しているものと考えられる。
以下では、医療事故に特化した責任保険の実態と運用について述べる。

(2)医師賠償責任保険
医師賠償保険は、医療事故に際して医師に過失があり、賠償責任が生じたとき、これを補償するための保険商品をいう。すなわち、医師賠償保険は、責任保険の一種である。
医療分野に限らず、専門職の賠償責任保険の運用にあたって困難な問題は、過失の有無の判定であるとされる。しかし、医師賠償責任保険の運用が開始された当時から、過失の有無を判定する医事紛争処理機関には「ともすれば保険査定代行機関のような性格をもつ傾向」がみられるようになり、被害者救済の観点から「医学の筋を曲げる」傾向も強かったという。

(3)日本医師会医師賠償責任保険
ア 経緯
そこで、昭和47年に日本医師会法制委員会は、「『医療事故の法的処理とその基礎理論』に関する報告書」のなかで、過失の存否という法律学上の判断に、厳密な医学的判断を十分に反映できるような特別の審査機構を備えた高額の医療賠償責任保険が必要であるとする提言をまとめた。これを受けて発足されたのが、日本医師会医師賠償責任保険(以下、「日医医賠責」という。)である。

イ 運用
日医医賠責の運用は、以下のようになっている。まず、日本医師会は損害保険会社と提携し、法人として保険契約者となる。そして、日本医師会のA会員(開業医等)は、自動的に被保険者となる。なお、保険料は原則として日本医師会の会費に包含されている。
 また、日医医賠責は、当初その補償額を最大1億円(免責100万円)としていたが、平成13年には任意加入の特約保険を創設し、法人や雇用者が被告となった場合の賠償責任まで範囲を拡大したほか、1事故で最大2億円まで、1施設あたり年間6億円まで補償するようになった。

ウ 紛争処理
被保険者である医師が患者側から損害賠償請求を受けると、各都道府県医師会は、日医に事件を付託する。そこで、まずは、事実関係の調査が行われ、保険適用が妥当かどうかの審査が行われる。しかし、事実関係が確定できない事案などは確定的判断ができないため、訴訟を促し、訴訟による証拠調べの結果を経て、再審査を行うことになっている。
他方、調査の結果、保険適用すべきとの判断がされると、賠償責任審査会において責任の有無及び賠償額の判定を行う。そして、そこで決定された方針に従って患者側との間で解決を図る。賠償責任審査会は、「中立で医学的、法律学的見地からその審査を行うもの」とされており(審査委員会規約第1条)、医学関係者6名及び法学関係者4名により構成されている。
ただし、任意加入の賠償責任保険においては、紛争処理機関はなく、都道府県医師会の医事紛争処理委員会が保険者会社の嘱託により判断を下しているといわれる。そのため、上述したような、被害者救済の観点から医学の筋を曲げるような傾向も、なお存続している可能性がある。

エ 問題点
賠償責任審査会で結論が出るまで、紛争発生後半年から1年程度かかる。そのため、迅速な解決が図られているとは言い難い。この背景には、強制力のない調査によって結論を導くのは困難であるとの構造的問題が存在する。
また、医師・看護師等が過失を認めていても、個別の示談交渉を行うと保険適用がないことや、最終決定が出るまで患者(またはその家族)への詳細な説明ができないという欠点もある。
そして、仮に、被害者救済の観点から医学の筋を曲げるような傾向が残存しているのであれば、医療過誤の原因究明という機能は期待できないということになる。
さらに、日本医師会は任意加入団体であるため、すべての医師が日医医賠責の適用を受けるわけではない点に注意を要する。

(4)小括
医師会が自治組織として紛争解決制度を構築したことは、医学的判断を反映できる第三者機関を設立したことや裁判外の解決が図られてきたという点で意義を有する。
しかし、日医医賠責加入率や運用実態を考えれば、平等で公平な被害者救済が十分に果たされているとはいえず、また、早期解決が図れているとは言い難い。さらに、調査権限が不十分なため、事実関係の把握が困難であるという欠点が存在する。加えて、現行制度下においては医師による自発的な説明のインセンティブが低下するおそれもある。
そのため、民事責任と切り離して事故の原因究明を行うインセンティブを与え、また、早期・公平・一律に救済が図れる補償制度の構築を検討する余地がある。
そこで、以下では補償制度構築の参考とするために、補償制度の類型を整理した上で、各国の制度について概観する。

産科医療における無過失補償制度について(1/5)

はじめに

本稿の目的は、産科医療における無過失補償制度を検討することである。
日本の周産期医療は、世界的にみても低い新生児死亡率や周産期死亡率を達成している。
ところが、産科医不足、産科医療提供体制の問題点がなどが指摘されて久しく、出産医療を担う医療機関も減少傾向にある。産婦人科医師及び機関が減少している理由としては、過酷な勤務、医療訴訟の増加などがあるといわれる。
特に、新生児脳性麻痺に関しては、統計上、訴訟率が非常に高いという特徴がある。新生児脳性麻痺は、平成16年には12件、平成17は18件、併せて30件の報告があった。そのうち、22件(73.3%)で紛争が起こり、8例(26.7%)は不明である。分娩を原因とする脳性麻痺は10〜20%といわれていることを考えても、圧倒的に訴訟リスクが高い。
このような現況を打開すべく、2009年1月から産科医療補償制度が導入された。迅速な救済を目指す当該制度は、医師の過失の有無にかかわらず補償を行うことを特徴としている。しかし、補償制度には固有の制度的問題が指摘されており、また、補償対象範囲の限定性から平等・公平について新たな問題が生じるなど、課題も多い。
そこで、不法行為法・保険法など基礎となる法制度の前提を確認したうえで、諸外国の補償制度を概観し、今般導入された産科医療制度について論点を整理し検討する。

法制度

1 不法行為
(1)概論
ア 不法行為責任制度
不法行為とは、私的生活関係において法秩序により保障された私人の権利を侵害する行為であって、法秩序の命令・禁止に違反するものとして被害者の救済が命じられるための基点となるものをいう。
すなわち、(1)法秩序によって保障された他人の権利を侵害する行為であること、(2)その行為が法秩序の命令・禁止に違反する態様のものとして評価されること、(3)被害者救済という目的に関連付けられるものであることが、不法行為制度の根幹をなす要素であるといえる。

イ 過失責任原則
どのような場合に違法評価が下されるかは、いくつかの異なった理由付けがありうるが、近代ヨーロッパ大陸法は、権利が侵害されたという状態だけでただちに違法評価を下すのではなく、行為そのものについての法的評価を経てはじめて違法評価を下すという原則を採用している。過失責任主義はこの文脈で語られている。
過失責任原則(過失責任主義)とは、行為者は、自己に(故意を含む広義の)過失がある場合にのみ、加害行為について責任を負うという原則である。
わが国の不法行為責任制度は、過失責任主義を採用しており(民法709条)、行為者の行動の自由を保障する機能を担っている。

ウ 過失責任原則の動揺
しかし、上記のような把握は、過失責任主義の射程に関する議論の中で変容が見られるようになった。過失責任原則が企業の経済活動の自由と企業の利益に軍配をあげている反面、企業活動の結果として被害を受けた者が有する権利に対する保護をあまりにも無視している点が批判されたのである。

エ 過失責任原則からの展開
このような批判に対応する第一の展開としては、過失責任原則の枠内において、過失における作為義務の高度化や新たな領域における行為規範の創造によって、責任成立場面を増大させるアプローチがある。過失についての証明責任を加害者へ転換し、または、立証軽減を図るという試みもまた同様である。このような動きは、公害・薬害・医療過誤事件において顕著であるとされる。
第二の展開としては、過失責任原則の妥当範囲そのものを制限しようとするアプローチがある。権利を侵害された被害者の不法行為法による広範な救済を正当化すべく、企業活動と結びついている事故のリスクを企業の負担とすべきであるとして、無過失責任の妥当範囲の拡張が図られている。このような第二のアプローチは、特別立法において具現化されており、鉱業法、原子力損害の賠償に関する法律、大気汚染防止法水質汚濁防止法製造物責任法等において見受けられる。
第三に、そもそも交通事故・製品関連事故・医療事故等については、不法行為法ひいては損害賠償法内部の問題として処理するのが適切であるかという点から問題視する立場がある。この方向は、伝統的には、不法行為法と保険法との交錯を論じる立場に内在して展開されてきた。後述する責任保険に代表される保険法による処理を踏まえて不法行為責任理論を構築しようというものである。さらに、詳細については後述するが、事故補償法という視点からの一元的処理に委ねるべきであるとの提唱もなされている。

(2)裁判例
医療分野の裁判例においては、インフルエンザ予防接種禍の事例において、損失補償(憲法29条3項)を適用し、過失の有無を問わずに救済を認める判断が示された。
さらに、過失の推定により、医師の責任を肯定するという構成が採用された。これらの判断は、過失責任原則の枠組内に留まりつつも、上述したような問題点の解消を志向していると評価できる。

(3)被害者救済における不法行為制度の問題点
しかし、上述した第三のアプローチの立場は、以下のような点が、被害者救済の観点から問題であると指摘する。
第一に、不法行為制度においては、加害者の過失が要求されているところ、それは被害者救済の取扱いにおいて妥当でない場合がある。また、因果関係の立証困難性が障害となりうるし、裁判で決着をつけようとすれば時間と費用がかかる上に、仮に請求が認容されたとしても、賠償義務者の無資力というリスクが残る。
第二に、多様なシステムの複合体によって行われる被害者救済は、実効性の欠缺という問題がある。特別の制度化がされていない分野において救済が期待できないだけでなく、制度化されている場合でも救済として実効性を欠くことがある。
第三に、不法行為責任の追及によって救済範囲を拡大しようとすると、潜在的責任主体の回避行動など社会的な負の対応が生じる。このような萎縮ないし防衛的態度の惹起をおそれて裁判官が賠償責任を認めないようになれば、被害者救済の理念が損なわれる。
第四に、複数のシステムが併存することから、制度間での保障額に差が生じ、また、調整にコストがかかる。
第五に、損害賠償制度の主流である一時金による賠償は、障害が一生続くような小児麻痺の事例などについて、被害者のニーズに沿わない点で問題があるという。

(4)総合救済システム構想
上述のような問題点が突き詰められた結果、ひとつの提案がされた。それが、総合救済システム構想である。
総合救済システムとは、人身被害についての不法行為訴権を廃止し、個別の不法行為訴訟と各種責任保険制度、各種自衛的保険制度を、拡充・統合した社会保障的な被害者救済制度のことをいう。初期の総合救済システム構想は、以下のような特徴を有していた。
(a)危険行為課徴金(責任保険料に相当)、基金求償(損害賠償の支払いに対応)、自衛的保険料(社会保険料に対応)を原資とする救済基金から、人身被害を受けた被害者に対して、その原因を問わずに被害の補償を行う。(b)被害者に支払を行った基金は、危険行為課徴金を支払っていない者が危険行為により人身被害を惹起した場合及び故意による人身被害の惹起の場合には、加害者に対して求償を行うことができる。(c)不法行為を理由とする損害賠償請求訴訟は、故意の不法行為の場合を除き、原則として廃止する。そのため、被害者は加害者を被告として直接請求をすることはできない。また、基金による補償を上回る損害額についても、不法行為訴訟を提起できない。基金による補償を求める者は、自衛的私保険に加入することになる。

(5)不法行為制度の再評価
上記のとおり、損失補填や損害の公平な分配という観点からすれば、不法行為制度は不十分なものとして映ずる。しかし、不法行為制度の目的はそれらに限られないという主張を起点として、不法行為制度を再評価する動向も見られる。
このような再評価は種々の観点からなされているが、基調とされているのは、不法行為制度における矯正的正義の実現という側面である。アリストテレスが提唱した矯正的正義という概念は、各人が持っているべきものを奪われたとき、あるいは、各人が持つべきでないものを持っているときに、それを返還したり放棄したりすべきであるという算術的な調整の価値判断である。矯正的正義は、財の配分などを問題にする配分的正義とは区別されている。

(6)小括
上記のように、不法行為法における過失責任原則は動揺をみせ、被害者救済の観点から修正または再構成をすべきだとする主張が提唱された。医療過誤にかかる裁判例においては、過失責任原則の枠内において、過失における作為義務の高度化や患者側の立証責任の転換ないし軽減が図られている。
他方、立法論としては、事故法に分類される権利侵害について、損害賠償法内部の問題として処理するのではなく、保険法の処理など他に併存する被害者救済の諸制度を踏まえて不法行為責任ないし社会保険制度を再構成すべきとの見解もある。しかし、このような見解に対しては、矯正的正義の視点から批判が存在する。
そこで、以下では医療事故への対応という視点から社会保障法・保険法について概観し、分配的正義及び強制的正義からみて、現状をどのように評価し得るか検討する。