インターネットのコントロール・ポイント

要旨

インターネットに関する技術と市場の変化は、コントロール・ポイントを顕在化させた。そのため、アーキテクチャ自体を変容させる形で規制作用を及ぼす技術的ゲートキーパーを利用する可能性が生じた。しかし、アーキテクチャ自体を変容させることは、生成性を損ない、異議申立ての機会を失う可能性もあるので、問題がある。

コントロール・ポイントの顕在化

インターネットは、分散型のネットワーク構造を有している。そのため、かつては規制作用を媒介すべく徴用されるゲートキーパーの存在を観念しにくかったといえる*1
しかし、ビジネスモデルの発展及びそれに伴う技術環境の変化により、分散型のネットワークを有するインターネットにおいても、規制作用を媒介しうるコントロール・ポイントが顕在化した。
1990年代後半までに、CompuServeやアマチュアBBSのような専用サービス(proprietary information service)はおおよそインターネットに移行した。インターネット・サービス・プロバイダISP)が商業的成功を収めたことにより、インターネットのアクセスを消費者等に提供する事業者が多く参入するようになったことも影響している。
この頃の利用はハブ・アンド・スポーク(hub-and-spoke)モデルに従ったものであった。すなわち、ユーザーの有する機器は大量に流入する接続を処理できるほどの性能を有していなかったために、常時接続できるウェブサーバーまたはファイルサーバーをISPやOSPに提供してもらうことが多かったのである。
ピア・ツー・ピア技術の発達により、ハブ・アンド・スポークのように非対称的な利用態様は相対化されたものの、現在でもOSPないしISPは、ある程度集中的な管理を担っている。
このような市場と技術の構造は、規制作用を媒介することのできるコントロール・ポイントを顕在化させたといえる。さらに、近年では検索に応じてウェブページをインデックス化する検索エンジンや、ソーシャル・ネットワーキング・サービスSNS)などの存在も、コントロール・ポイントとして意識されるようになっている。
また、今日では、ソフトウエアの自動アップデートが一般化している。すなわち、ソフトウエアは、インターネットを介して開発元との接触を維持することができる。開発者は、ソフトウエアがユーザーの手に渡った後も、ソフトウエアを再調整することができる。さらに、同じ機器内で作動している他のソフトウエアに影響を与えることもできる。
そのため、ソフトウエアの開発者がゲートキーパーとして徴用されることも考えられる。例えば、ソフトウエアがユーザーに取得され、好ましくない目的で用いられた後に、リコールまたは修正することのできるような形で、ソフトウエアを作成するよう要求されることが考えられる。

伝統的ゲートキーパーと技術的ゲートキーパー

ゲートキーパーという概念についての分析は、金融法ないし企業法務分野の違法行為に関する研究に端を発している。当該分野に見られるホワイトカラー犯罪は、第一次エンフォースメント(primary enforcement)のみでは抑止しきれない。違法行為を行う者に対する直接規制が容易でないからである。
そこで、代位責任(vicarious liability)や使用者責任(respondeat superior)のように、第三者に責任を負わせるというアプローチが検討される。すなわち、第三者に事実上、「巡査」(cop-on-the-beat)の役割を果たすインセンティブを付与するということである。ホワイトカラー犯罪防止という場面においては、顧客と人的関係を有する法律家や会計士といった第三者が、顧客を監視する役割を果たす。
金融法分野において想定されるゲートキーパーは、媒介者自身が、契約関係等を維持し、可能な限り監視することを基本的な枠組みとしている。つまり、人間のゲートキーパーを徴用して監視させることで規制作用を及ぼそうとする企てである。
しかし、インターネット上の媒介を用いた規制は、顧客と人的関係を有し、監視するような形態に限られない。例えば、検索エンジンはインデックス化の対象となる個々のウェブサイト管理者と契約を結んでいるわけではないが、違法な表現が含まれたページを表示しないという規制作用を営むことができる。このような規制は、検索エンジンの事業者自身が監視をしているというよりも、技術自体を変化させうるという点で、伝統的ゲートキーパー(traditional gatekeepers)とは趣を異にしている。すなわち、契約関係に基づく監視ではなく、アーキテクチャの変更によって規制作用を媒介しているのである。
インターネット上のコントロール・ポイントの利用は、ゲートキーパーに対する法の制約によって、アーキテクチャ自体を改変することができることを意味する。このような規制を担う人を「技術的ゲートキーパー」(technological gatekeepers)と呼ぶ。ISP検索エンジン、OSP、携帯電話事業者などは、技術的ゲートキーパーになりうる。
ただし、技術的ゲートキーパーになりうる者であっても、伝統的ゲートキーパーとしての役割を果たす場合がある。電子口座の不正利用が発覚した場合に決済を停止するなどはその例である。

技術的なゲートキーピング規制の問題点

ゲートキーパーを伝統的なものと技術的なものとに区分する実益は、第三者の利益保護の程度が異なる点にある。
すなわち、伝統的ゲートキーパーによる監視は、一個人に対する影響に留まることが多い。しかし、技術的ゲートキーパーによるアーキテクチャの変更は、生成性(generativity)を損なうという点で、被規制者以外の第三者にも影響及ぼす可能性が大きい。生成性とは、次世代の価値を生み出すことを確保するための基盤を指す。ユーザーの自由を制約するプラットフォームは、用途が束縛される結果、無菌状態(sterile)になってしまい、新しい利用形態を許容できなくなってしまう。
さらに、技術的ゲートキーパーが不可視的である点も問題になる。伝統的ゲートキーパーについては、契約関係を契機としており、また、監視の義務は明文の規定によるものが想定されているから、第三者は、監視されていることを知ることが可能である。
しかし、技術的ゲートキーパーによる制約は、契約関係を前提としていない。また、ゲートキーパーとしての義務が明文化されていたとしても、実際の適用がどうなっているかを知覚するためには、技術的なリテラシーが別途必要となるフィルタリングやブロッキングなど規制態様によっては、規制されているということ自体に気付きにくいからである。これは、異議申し立ての契機を奪われているとも評価できる
したがって、技術的なゲートキーピングは、長い目で見れば、自由とイノベーションの脅威になりうるのである。

*1:ゲートキーパーとは、個人の行動を規制するために徴用される第三者のことをいう。ゲートキーパーは責任を負わされているという意味で被規制者であると同時に、規制作用を媒介し監視を行うという意味では規制者でもある。

レッシグの4つの制約要素

要旨

法(Law)以外にも人の行為を制約する要素(constraints)は存在する。規範(Norm)、市場(Market)、アーキテクチャ(Architecture)がその要素である。
ただし、各制約要素は相互に影響を与えている。なかでも法は、規制を規制するもの(meta-regulator)として機能する。
昨今の「ソフト」な規制においては、この機能を利用し、法以外の制約要素を介して規制作用を及ぼすことを前提としている。
よって、四制約要素論は、規制態様の分析ツールとして(または、規制手段の検討に)有用である。

法ではない制約要素

(1) 規範
法が撤退した部分は、無法や不法に陥るのではなく、法以前に存在した秩序により満たされる。このような法と交替的な、かつ、法的でない社会的な規範システムの存在は、以前から把握されていた。つまり、法以外にも人を制約する要素が存在している。規範は、マナーやインフォーマルなルールとして個人の選択に影響を与えるのである。

(2) 市場
さらに、経済的インセンティブも行動を左右する要素であるといえる。すなわち、市場は価格変動を通じて個人の選好を左右する。

(3) アーキテクチャ
また、当然といえば当然であるが、物理的または技術的環境も人々の行動を規律する。このような制約要素をアーキテクチャと呼ぶ。
アーキテクチャによる制約は、あまりに自明すぎるので規制手段として意識することは少ないかもしれない。しかし、アーキテクチャも規制要素である。
例えば、希少な植物を保護することを政策目標とした場合を考えよう。この場合、保護区域を指定し、立入りを制限し、違反者に罰則を設ける法を策定するというアプローチが考えられる。他方、この立法に代えて(または法と併用して)、当該地域への立入りを阻止すべくフェンスを設置することもできるだろう。さらに、保護区域に入った人に対しても、根を傷め、土を踏み固めることのないよう、木製デッキ設置してその部分のみ歩かせるよう誘導することもできる。
このように、アーキテクチャも規制作用を営み、政策目標を達成するための手段となる。
さらに、インターネットにおいてはコードによって技術環境を構築するため、アーキテクチャによる制約は、より一層重要な意味を持つ。地上においてニュートン力学の法則を変えることはできないが、サイバー・スペースにおいてはそれすら変更可能である。インターネットは可塑的な性質を持ち、技術環境は改変可能であるから、落ちないリンゴや枯れない花を設定・構築することもできる。
したがって、インターネットのアーキテクチャについて生来的な規制不可能性(natural unregulability)という言葉を用いることは、改変可能性を有する手段を自然の力であるかのように誤解させることになる。
そして、わずか数時間で作成されたプログラミングによって、世界的に流通する情報流通構造に多大な変化をもたらすことができるという特徴も有している。そのため、例えば、特定の単語を含むウェブページへのアクセスを不可能にし、特定地域からのアクセスを全てブロックするような形でのアーキテクチャの変更も容易なのである。

制約要素への介入

以上の制約要素を整理すると、法(Law)、市場(Market)、規範(Norm)、アーキテクチャ(Architecture)の4つがあるということになる。そして、法、市場、規範、アーキテクチャはそれぞれ独立に制約を課すことができる。
しかし、法は、他の3つの制約要素を制約することで、私的法主体を間接的に制約することが可能である。共同規制(co-regulation)はまさにそのような発想に立っている。
共同規制では、私的法主体の定立する規範に法によって枠付けを与え、また、法により経済的負担を課すことで市場を介して事業者の行動に影響を与えることが予定されている。すなわち、法は単なる規制(regulator)であるだけではなく、規制を規制するもの(meta-regulator)として機能するのである。
もちろん、各制約要素は相互に影響を与えている。規範の変動や市場の動向は法の改正を要請しうるし、アーキテクチャの変化もまた法に影響を与えている。よって、法が「規制を規制するもの」として機能しうるという指摘は、他の制約要素より法が優位していることを必ずしも意味しない。「規制を規制するもの」としての法に注目せよというときには、法が他の制約要素に介入して間接的に主体に対して規制をかけるようになる懸念があり、そのような規制の在り方に対して敏感であるべきだという主張を意味するに留まる。

議論の背景

上述のような議論は、新シカゴ学派に属するとレッシグ自身が主張している。
(旧)シカゴ学派は、新古典派経済学古典的自由主義の経済思想を基調としている。要するに、市場に対する政府の介入に対して懐疑的であり、自由放任を是とする立場である。 法学領域における(旧)シカゴ学派も、このような基本的態度に与しており、法は他の3つの制約要素(市場、規範、アーキテクチャ)に対して非介入の立場を採るべきだと主張する。
対する新シカゴ学派は、上述したとおりである。つまり、法が他の3つの制約要素に規制作用を及ぼすことで、主体を間接的に制約することが可能だと主張し、そのような間接的な法の介入に対しても、法律学が対応できるようなアプローチが必要だと主張しているのである。