レッシグの4つの制約要素

要旨

法(Law)以外にも人の行為を制約する要素(constraints)は存在する。規範(Norm)、市場(Market)、アーキテクチャ(Architecture)がその要素である。
ただし、各制約要素は相互に影響を与えている。なかでも法は、規制を規制するもの(meta-regulator)として機能する。
昨今の「ソフト」な規制においては、この機能を利用し、法以外の制約要素を介して規制作用を及ぼすことを前提としている。
よって、四制約要素論は、規制態様の分析ツールとして(または、規制手段の検討に)有用である。

法ではない制約要素

(1) 規範
法が撤退した部分は、無法や不法に陥るのではなく、法以前に存在した秩序により満たされる。このような法と交替的な、かつ、法的でない社会的な規範システムの存在は、以前から把握されていた。つまり、法以外にも人を制約する要素が存在している。規範は、マナーやインフォーマルなルールとして個人の選択に影響を与えるのである。

(2) 市場
さらに、経済的インセンティブも行動を左右する要素であるといえる。すなわち、市場は価格変動を通じて個人の選好を左右する。

(3) アーキテクチャ
また、当然といえば当然であるが、物理的または技術的環境も人々の行動を規律する。このような制約要素をアーキテクチャと呼ぶ。
アーキテクチャによる制約は、あまりに自明すぎるので規制手段として意識することは少ないかもしれない。しかし、アーキテクチャも規制要素である。
例えば、希少な植物を保護することを政策目標とした場合を考えよう。この場合、保護区域を指定し、立入りを制限し、違反者に罰則を設ける法を策定するというアプローチが考えられる。他方、この立法に代えて(または法と併用して)、当該地域への立入りを阻止すべくフェンスを設置することもできるだろう。さらに、保護区域に入った人に対しても、根を傷め、土を踏み固めることのないよう、木製デッキ設置してその部分のみ歩かせるよう誘導することもできる。
このように、アーキテクチャも規制作用を営み、政策目標を達成するための手段となる。
さらに、インターネットにおいてはコードによって技術環境を構築するため、アーキテクチャによる制約は、より一層重要な意味を持つ。地上においてニュートン力学の法則を変えることはできないが、サイバー・スペースにおいてはそれすら変更可能である。インターネットは可塑的な性質を持ち、技術環境は改変可能であるから、落ちないリンゴや枯れない花を設定・構築することもできる。
したがって、インターネットのアーキテクチャについて生来的な規制不可能性(natural unregulability)という言葉を用いることは、改変可能性を有する手段を自然の力であるかのように誤解させることになる。
そして、わずか数時間で作成されたプログラミングによって、世界的に流通する情報流通構造に多大な変化をもたらすことができるという特徴も有している。そのため、例えば、特定の単語を含むウェブページへのアクセスを不可能にし、特定地域からのアクセスを全てブロックするような形でのアーキテクチャの変更も容易なのである。

制約要素への介入

以上の制約要素を整理すると、法(Law)、市場(Market)、規範(Norm)、アーキテクチャ(Architecture)の4つがあるということになる。そして、法、市場、規範、アーキテクチャはそれぞれ独立に制約を課すことができる。
しかし、法は、他の3つの制約要素を制約することで、私的法主体を間接的に制約することが可能である。共同規制(co-regulation)はまさにそのような発想に立っている。
共同規制では、私的法主体の定立する規範に法によって枠付けを与え、また、法により経済的負担を課すことで市場を介して事業者の行動に影響を与えることが予定されている。すなわち、法は単なる規制(regulator)であるだけではなく、規制を規制するもの(meta-regulator)として機能するのである。
もちろん、各制約要素は相互に影響を与えている。規範の変動や市場の動向は法の改正を要請しうるし、アーキテクチャの変化もまた法に影響を与えている。よって、法が「規制を規制するもの」として機能しうるという指摘は、他の制約要素より法が優位していることを必ずしも意味しない。「規制を規制するもの」としての法に注目せよというときには、法が他の制約要素に介入して間接的に主体に対して規制をかけるようになる懸念があり、そのような規制の在り方に対して敏感であるべきだという主張を意味するに留まる。

議論の背景

上述のような議論は、新シカゴ学派に属するとレッシグ自身が主張している。
(旧)シカゴ学派は、新古典派経済学古典的自由主義の経済思想を基調としている。要するに、市場に対する政府の介入に対して懐疑的であり、自由放任を是とする立場である。 法学領域における(旧)シカゴ学派も、このような基本的態度に与しており、法は他の3つの制約要素(市場、規範、アーキテクチャ)に対して非介入の立場を採るべきだと主張する。
対する新シカゴ学派は、上述したとおりである。つまり、法が他の3つの制約要素に規制作用を及ぼすことで、主体を間接的に制約することが可能だと主張し、そのような間接的な法の介入に対しても、法律学が対応できるようなアプローチが必要だと主張しているのである。